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蜻蛉切(とんぼぎり)とは?本多忠勝の槍

蜻蛉切(とんぼきり)は、戦国時代の徳川家康の家臣、本多忠勝(ほんだただかつ)が愛用したと言われる、槍(やり)の事です。
作者は、三河文珠派とよばれる藤原正真です。

天下三名槍(てんかさんめいそう)の1つで、その切れ味がすさまじかったと伝えられています。

天下三名槍とは
・御手杵(おてぎね)
・日本号(にほんごう)
・蜻蛉切(とんぼきり)
の3つです。

蜻蛉切という名前の由来は、戦場で槍を立てていたところ、槍の穂先に止まろうとして飛んできた蜻蛉が、あまりの槍の切れ味に、当たって二つに切れたことから、蜻蛉切りという名前がついたとされています。

また、大きさも通常の槍はより大きかったとされ、普通の槍は4.5メートルほどであるが、蜻蛉切りは柄の長さが6メートルあったといわれています。

現在では、愛知県岡崎市の岡崎城内施設に、模造品が展示されています。

お土産物屋さんでいたるところで目にする「木彫りの熊」の民芸品。
たいてい、どっしりとしたヒグマがサケをくわえているの姿を一度は目にした事があるのでは?

これは元々はどこが発祥の品かというと、そもそもは北海道で製造される、手工芸品だったようです。
最近つくられたもののように感じますが、意外に?歴史があり大正13年、尾張徳川の当主であった徳川義親さんが、旧尾張藩士たちが入植した北海道の農場(「徳川農場」といったようです。)が立地する八雲町の農民たちの冬期の収入源にと、義親が以前いったスイスでかってきた熊の木彫の人形を生産するのはどお?
と、提案しました。するとこの木彫りの熊は大ヒット!その後八雲町だけでなく北海道の名産品として広く認知されたようです。
ちなみにこの時、義親は八雲の達に、「とにかく作つてみなよ、できたものは私が買いあげるから、まあにかつくってみて」と言ったそうです。
けっこう実業家タイプ?のかただったのでしょうかね

熊の人形


縁起物もとしても!
熊の赤ちゃんは生まれた時は、とても小さな動物です。
それが成長すると凄く大きくなることから、「大物になってね!」という願いをこめ、熊は子供の成長に縁起物でもあるそうです。

こけしの写真達

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こけしの写真達をならべてみました。

こけしの写真 わっかのはいっているもの
なにかの輪のようなものにはいっているこけし。

こけしの写真 わっかのはいっているものうしろすがた
それの後ろ姿の写真。以外とかわいいもんですね

こけしの写真2 気の強そうなこけし
ちょっと気の強そうな顔つきのこけし。衣装がリアルなかんじで、実際の農村の娘みたいな感じの服装をしたこけしです。

こけしの写真 やさしそうなこけし
優しそうな顔のこけし。

こけしの写真 ふとったこけし
ふとったこけし。1つ上の写真とくらべると顔の大きさがかなりちがいますね。顔の表情からモデルは赤ちゃんとかんんでしょうか。

こけしの写真
にこにここけし。笑顔がよいかんじのこけしです。
からす天狗の面、三春張り子
烏天狗または、ふつうの天狗とおなじく山伏装束で、烏のような嘴をした顔、羽毛に覆われた体を持ち、自在にとびまわることができる天狗さんです。
小天狗とも呼ばれるようですね

画像:からす天狗の面の写真
画像:からす天狗の面の写真

この鳥天狗はとっても剣術上手で、鞍馬山の烏天狗は牛若丸に剣を教えたなんて話もあるぐらい。
そんな鳥天狗のお面がこちらの三春張り子の鳥天狗の面。
ひげがとっても立派にできていますのでけっこう迫力あるお面になっています。

そもそもは天狗というと、こちらの烏天狗のことをいっていたようです。
よくしっているあの鼻の高い天狗は、烏天狗よりのちに現れたもなんだそうですね。

日本に笠がはいってきたのは欽明天皇の時代に、中国大陸から朝鮮半島西岸勢力の百済を経由して伝来した輸入品目であり、導入当初から「唐傘(からかさ)」と呼称されたようです。

画像:番傘、日本の笠の写真
画像:番傘、日本の笠の写真

和傘はおもに竹を材料として軸と骨を製作し、傘布に柿渋、亜麻仁油、桐油等を塗って防水加工した油紙を使用しています。
和傘には種類があり、番傘(ばんがさ)、蛇の目傘(じゃのめがさ)、端折傘(つまおれがさ)などいくつかあります


奉公さん(ほうこさん)は香川の郷土玩具です。

画像:奉公さん(ほうこさん)人形の写真
画像:奉公さん(ほうこさん)人形の写真

この、「ほうこさん」にはちょっとかなしい伝承があります。
昔、讃岐の高松に「おまき」という気立ての良いのだが器量は悪い娘がいたそうです。
この娘はとあるお武家様に奉公しておりました。その武家の姫君に仕えていたのです。
ある時、その姫が不治の病にかかり、苦しむ様子を見かねて、おまきは姫様のかかったその病気を自分に移し身代わりとなり、そして離れ小島に流され死んでしまいました。

この人形はその娘の姿を写したものです。
この地方で、子供が病気になったときにこの人形を抱かせ、人形を海に流すと子供は全快すると信じられていました。 こういった伝承は瀬戸内海地域を中心けっこうあったようですね。
大内人形は山口県の大内塗の民芸品、工芸品です。

画像:大内人形写真
画像:大内人形写真

現在の山口県のあたりは西の京と云われた時代がありました。室町時代です。
そしてその時代その山口あたりに勢力があった大内氏が、朝鮮、明との貿易を進めるにあたって、自国の重要な輸出産物として、国内で制作する事を奨励した品といわれています。
その後、貿易がなくなってしまっても、その技術は、江戸時代以後にも引き継がれ現在に至っているのです。

南部鉄器、鉄瓶(てつびん)は、岩手県、盛岡に伝わる鉄器の鋳物のことです。
慶長年間(1596年-1615年)に盛岡藩主であった南部(なんぶ)氏の庇護の下、有坂家、鈴木家、藤田家、釜師小泉家という4家によりこの鉄器がつくられはじめました。
明治時代には展覧会などで入賞し名声を得て全国に名を知られるようになりました。

画像:南部鉄器、鉄瓶写真
画像:南部鉄器の鉄瓶写真
黒い色の重圧感があり非常に重みがありますね。

画像:南部鉄器、鉄瓶写真2
画像:南部鉄器の鉄瓶写真2
京都の鞍馬寺(くらまでら)の前でうっていた鯉の玩具。
鯉のぼりなどと同じ意味なんでしょうか

画像:鯉の人形 京都鞍馬寺
画像:鯉の玩具写真
会津中湯川土人形
会津中湯川土人形は青柳守彦さんが昭和57年から制作している土人形のことです。
福島県会津若松市でつくっており、その製造方法は昔ながらの伝統を受け継いでいるとか。
とくにコミカルな動物の描写がおもしろいですね。

画像 中湯川土人形写真
画像:会津中湯川土人形写真

会津中湯川土人形 ナマズのり鶏
画像:会津中湯川土人形写真 ナマズの上に鶏
それぞれの動物たちがとても可愛い描写です。

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